涙の理由

涙は、私の場合、悲しいから流すものとは限りません

 

不意に、ある感情がわき起こって、波のように押し寄せ、ドップリ浸かってしまって出てこられなくなることが・・あるのです

それは、自分の子どもや友だち、さらにはこの世界に対する愛しさだったり

過去に起こったことの悲しい、あるいは幸せな記憶だったり

ある歌の歌詞からイメージされた情景だったり

動いた感情が涙となって、突然あふれてくるのです

 

昔から涙もろいほうではあったけど、去年の夏、急にひどくなってしまい

 

始めのうちは、この意思とは関係なく思える衝動的な涙がこわくて、コントロールしようと思っていたのだけれど

目に入るもの、耳にするもの、食べるもの・・なにが引き金になるかわからないから

仕事やライブで歌わなきゃいけない曲以外は聴かない(聴けない)し、 歌わない(歌えない)

テレビやドラマは 観ない

それから 人混みも苦手になり

なぜかウィンドーショッピングが出来なくなった

突然の孤独感  何を見てもそぐわない感覚

時間や物質や人の想いのはかなさに結びつくのか、急に悲しくなってしまう

いくら我慢しても、涙だか汗だか血だかをふきだして、その場に崩れてしまいそうになる・・

 

4か月くらいはそんな状態だったけど

ある時期から、コントロールしようとするのをあきらめた

相変わらず、外界からの刺激はなるべく避けていたけれど 

"感じること"はやめられないから

 

そうすると、溺れそうな感情の中にいても 

「これは本当に自分の感情なんだろうか?」

というような、客観的な自分の存在も感じるようになった

 

少し、安心

あぁなるほど

情緒不安定、うつ、更年期障害、心的外傷(PTSD)、過去生のトラウマ・・・

なんとでも名づけられるのかもしれない

「私って○○だったんだ」

 

納得こそできたとして、解決にはならないこともわかっていたけど

 

まてよ?

そもそも解決すべきようなことなの?

感じることはやめられないし、それが身体の反応として涙が出るのは いけないことなの?

 

人からみたらきっと恥ずかしい、おかしいことだからといって、感じないようにしたり抑えようとしたら、自分を否定することになる 

せっかくこの3次元の世界で与えられた物質としての自分

その私にしかない命と感性を

認めてあげなかったら

愛してあげなかったら

とても輝くことなんて出来ない

 

輝いて 人を愛するために生まれてきたのに

                   認めてあげよう

                     ありのままの気持ちを

                      戦わなくていい

                       無理に手放そうとしなくてもいい

 

いろんなところから、いろんな形で 心にメッセージが飛び込んでくるようになった

見えなくても大切な人とはちゃんとつながってる

今まで大切だ信じてたことがぜ~んぶひっくり返っちゃっても

それは魂の学びに必要な"必然"だったんだ

と信じられるようになって

 

少しずつ

自分の好きな音楽を聴いたり、買い物や一人の時間を楽しんだりする余裕も出来てきた

身近な人に 「悲しいから泣いている」 と思われるのはやはりつらいけど

こんな私でもいいんだ、と思えるようになってきました

 

とにかく振り返ってみるといつも

仕事があり 友人がいて

涙をふいてでも行くべきところ、会いにいくべき人がいてくれて 

本当に本当に 幸せです

そして

人並み以上に丈夫な体をくれた両親に心から感謝

 

ありがとう

 

みんなの愛をいつも感じているおかげで

私の心臓は、一人分+α のエネルギーで動いてる気がするよ

みなさんとの 素晴らしい出会いを大切に

これからも 出来ることを 精一杯 楽しんで 生きていきます♪

 

 

 

長々とごめんなさい

 

 

 

いつも

読んでくださってありがとう m(__)m

 

                                         SIERRA